五十嵐ツトムのCTツアー観戦記 |回想編 | 五十嵐カノア6歳テレビ初出演時の不思議なストーリー<エピソード2>
五十嵐カノアの父ツトムが、試合に帯同して父親目線で観たリアルで愛のあるツアーレポート。
2003年五十嵐カノアが(6歳)で初めてTV生出演した時に起こった不思議なエピソードをお伝えする。朝練のあとにいつも会うおじさんがいた。そしてある朝。。。
Text & Photo by TOM IGARASHI | Supported by Namidensetsu
Huntington Beach, California 2003 –
2003年五十嵐カノア6歳。TV生出演でのインタビューの模様
6歳のカノアをハンティントンでのサーフィン後に着替えさせて、急いで車に乗り駐車場を出るときに公衆電話でガチャガチャとやっているおじさんがいる。こんな事が何日も続いた(笑)
アメリカっていろんな人がいるな、なんて思っていた。
そしてある朝…
いつものように学校へ行く前の朝練でハンティントンピア(夏の終わりだったかな)ノースサイドに駐車してビーチを歩いているとピアの上に数台のテレビ局のトラックが見えた。
数人のテレビ局のスタッフが「オーイ、カノアくんかい?」って。ええええええっマジか? 俺はすぐにあのTシャツにショーツのおじさんのことが頭に浮かんだ。マジか? ピアからテレビ局スタッフが降りてきて「君かい? 凄い天才キッズサーファーが居るって局に連絡が来ていて、今日は取材させてもらうよ」って。いつもなら例のTシャツにショーツのオヤジが見ているのにこの日は居なかった。「さっそくサーフィンを撮影させてもらうよ。生放送でやるから家に連絡しておいた方がいいよ」って。
慌ててテレビ局のスタッフの携帯を借りて「ヤバイよ! ミサ! 生放送でテテッテレビにでるって! はっ早くチャンネル5にまわしてー」って感じでパニック。とりあえずピアの上でインタビューから。「名前は? 誰にサーフィンを習ったの?」まだ6歳のカノアに俺は必ずスポンサーを全て言うようにと。それが仕事だよって言い聞かせて。しかしまだ小さかったカノアはすっかり言い忘れていた。(笑)
あの時、なんでちゃんとスポンサーを言わなかったんだよって怒ったなー。その頃からプロとしての意識も少しずつ芽生えてきたのだと思う。
まっそんなことより全米ネットワークのテレビ局の朝のニュースに生出演、こりゃとんでもないことになるなって。俺たちが描いていた事が徐々に現実化してきたなって。アメリカンドリームだよ。とりあえず2、3本テイクオフしてくれる?ってな感じの指示があり入水。
波のサイズが結構あったが期待通りの良いライディングを数本。しかし放映されたのはその中でも一番良くない波のやつだったな。(笑) まーそんなもんだよね。学校の時間も近づき撮影班のスタッフに挨拶をして慌てて車に向かう。
そーだ…あのTシャツにショーツのおじさんもきっと見ていてくれたはず。テレビ局に電話してくれて有難うと御礼を言わなきゃって、いつもおじさんが座っている場所を見回したが姿が無い。次の日も、そしてその次の日も。
なんだろう?
それっきり彼の姿をハンティントンで見ることは無かった。
神様か? あのテレビ出演後に「五十嵐カノア」の名前はハンティントン中、いやカリフォルニア中に響き渡った。カリフォルニア・ハンティントンビーチの天才少年サーファーストーリーの始まりであった。
エピソード1はこちら。