五十嵐ツトムのWCTツアー観戦記
|日本特別編<Part_2>
五十嵐カノアの父ツトムが、試合に帯同して父親目線で観たリアルで愛のあるツアーレポートをお届けする。五十嵐カノアとファミリーは無事に日本へ到着。その足で2020オリンピック会場の千葉・釣ヶ崎海岸へゴー!
Photo & Text by TOM IGARASHI & OCTOPUS FILM
羽田、東京 – 釣ヶ崎海岸、千葉
11/19
渋谷で軽く朝飯くって…千葉に向かう。いつ来ても故郷渋谷は良い。
父・五十嵐勉氏が40年前からサーフしていた志田下(2020オリンピック・サーフィン会場釣ヶ崎海岸)で帰国したその日にサーフィンをした五十嵐カノア
海ホタルを経由、雨も上がり素晴らしい景色を満喫っす。日本の美味しいソフトクリームを喰い志田に向かう。
木更津にウェーブプールを作ってたらなぁ〜など思いながら….外ののどかな景色を見ながら〜とりあえず来年のオリンピック・サーフィン会場の志田です!
志田下ストーリー
今回の私の来日ミッションの中のひとつ…オリジナル志田下メンバーとの再会。
私の尊敬する蛸さんに板を削っていただき、当時の志田の仲間たちとパドルアウト。数ヶ月前にこのプロジェクトを思いつきました。
80年代初頭、初めて私が一宮でサーフィンをしたのは中学2年生頃の夏、太東に日本初のスケートボードパークがあり。。。
13歳の時だな。40年以上前の話かぁ〜
千住のスケートチーム「BUM」のメンバーと電車に揺られ、スケートボードの全日本選手権に参戦するために太東スケートパークへ。
フリースタイル部門で私は優勝。試合後みんなで太東の大谷タニーさんからシングルフィンの板を借りてパドルアウトが私の千葉サーフィンのはじまりです。
中3から高校生にかけてスケートから徐々にサーフィンの方にのめり込み、サーフィンを上手くなるならやはり当時のスーパースター久我孝男先生の産まれ育った太東や志田でサーフィンしないとと思いまして。
あの頃の志田は今の様なサーフスポットって感じではなく、ただの草むらで入り口から凸凹道で鳥居も無く、雨が降ったらドロドロにぬかってしまうような地元の方達のみサーフィンをする事が許されるようなポイントだった〜
千葉・志田下で蛸操氏や息子のカノアらと久しぶりにサーフィンをする五十嵐勉氏|Water shot by OCTOPUS FILM
Water shot by OCTOPUS FILM
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そんな中、こころよく受け入れてくれた・蛸さんをはじめとする高田さん奥村さん達。そんな訳で今回のプロジェクトになったんです。